平成 が終わろうとしていて
テレビ番組も
あれこれ平成を振り返り 懐かしんでいますね。
先日のイチローの引退も
なにかが終わったような気がして
何の関係ないのになぜか涙が止まらなかった。
私のなかでは
ばーごんさんに会う前。
ばーごんさんと一緒のとき。
ばーごんさんがいなくなってから。
そこには線がハッキリと存在する。
これはまだ
ばーごんさんのガンを知らないときに撮った写真。
そのときの気持ちや空気感が蘇る。
ばーごんさんと一緒に共有した情報。
いなくなってから起こったこと。
イチローが引退したことも、
次の年号が 令和 ってことも
一緒に行ったノートルダム大聖堂が
焼け落ちてしまったことも
ばーごんさんは知らないんだな。
今起こったことを共有できなくて、
寂しくてたまらない。
平成が終わると
ばーごんさんとの区切りが余計にハッキリしてしまう。
どんどん遠くなってしまう気がして。
これからは ずっと そうなんだけれど。
いや
そうは言っても 本当は
何が起こっても
(結構 衝撃的なことが私の身のまわりに起こっているけれど;)
きっと、ばーごんさんが見守っていると
いやむしろ どれもこれも
ばーごんさんのさしがね だろうと
思っている。
じゃあ もう
ほんとは全部知ってるんやん て話しになるけど。
たぶん 体の自由度でいうと
ばーごんさんの場合は特に
今の方が自由なんだろうな。
ばーごんさんがしあわせなら いい。
私が
そっちに行くまで
しっかりと 見守って おくれ 。
・・・・・・・・・・・・