3月26日に久々にパフォーマンス。
ちょっと自分がするパフォーマンスについて考察してみる。
僕がやるパフォーマンスというと簡単に言えば“書いているところを見てもらう”ということ。
一人で、或いは他の人と。
ミュージシャンと
声楽家と
イラストレーターと
舞踏家と
和紙作家の和紙と
もちろん一人でも
その都度、人や場面は違うのだが僕はただ紙に向かって書くだけ。
相手に合わせて書くというのではなく
その場の空氣を感じて書く。
書くことに集中しているので
周りの音や氣配はぼんやりとした感じ。
包まれている中で書いているといった具合に。
書く文字はほとんどがその時、頭に浮かんだ言葉、
俗にいう「降りてきた」言葉を書く。
考えてきた言葉ではなく、思い出さなくてもいいというので楽だ。
しかし、次々に出てきた意図しない言葉を書いていくので
途中、文のつながりが悪かったり、意味がわからない言葉が出てくる。
あまりにも変に感じる時は意味が合うように替えたくなるのだが
そこは「出てきたままにしよう」と思い直し書いていく。
自分が書いているのに、自分の思うように書かない瞬間。
不思議な瞬間。
でも書き終わって文章を読むと納得するのだから不思議だ。
そして、その文章がなにかしらのメッセージになっていることも不思議。
書かされているとしか言いようのない感じ。
自分ではない状態?
チャネリング状態?
書いている時は誰かに見せるために書いているのに
いつもそのことは氣にならず
より集中できて包まれた感じがして心地いい。
人前でのパフォーマンスは僕にとってワクワクする時間。
何も考えずカッコもつけず無になる状態。
パフォーマンスは“空っぽ”になることを体験させてくれるものなのかもしれない。