今朝”壊したい”感情と”壊されたくない(殺されたくない)感情が同時に出てきた。
youtubeで見た国会中継から出てきた感情。
相反するものが同時に。
そこで2つの感情を探ってみた。
まずは”壊したい”
自分を探っていくとまずは小学生のころの恩師の考えが入っていることに氣づいた。
ただ、恩師はおかしいことはおかしいという考えの下
体制に対してもしっかりと意見しなさい
というものだったので”壊す”というのはちょっとずれているが
幼い小学生は「悪いもの(勝手な幼い思い込み)は壊せばいい」という安直な考えしかできなかった。
バロムワンがドルゲを倒すように。
しかし、もうちょっと掘り下げていくと”壊したい”というのは理由や大義があってそうしたいのではなく
ただ”壊したい”という思いだけしかないことがわかった。
理由や大義があれば自分自身に正当性ができるだけでそれ以外は無い。
ほんとこれに氣づいたのは大きかった。
ただそうしたいだけ。
以前も氣づいたが今日はしっかり腑に落ちた。
そして壊したい自分が居れば反対の壊されたくない自分も居るはず。
そう考えるのは当たり前である。
投げたものは返ってくる。
壊せば壊される。
壊されたくないのに壊したい願望があった私。
もう壊したくもないし壊されたくもないので
この観念をさっぱりと消す。
争いは消えた。
ありがとう。