『すべてを受け入れる
たとえ間違っていてもそれも旅のひとつ
すべてを受け入れ楽しむ』
今朝テレビで日本の百の山を200日をかけて踏破した方が言ってた言葉。
同じことをしている登山家に送ったアドバイス。
自分が計画していたルートとは違っていても
慌てず落ち込まず不安にならず
それも旅の一部だと思って楽しむ。
もっと言えば
慌てること落ち込むこと不安になえること
それも旅のエッセンスとして受け入れ楽しむということなのだろうか。
今、とても響く言葉だった。
何が起こるかわからない山道で足を前に進ます原動力は「楽しめる力」なのであろう。
少しでも自分のやっていることに不安や疑いがあれば
道はイバラの道になり行く手を遮られ断念せざるおえなくなるのは必至。
どれだけ心の方向性を決めることが大切か。
やってこられた方の言葉は大きい。
最近”起こることは中立”ということを意識している。
すべては中立で起こることに意味づけするのは自分
どう意味づけするかによって次の展開が変わってくる。
以前知って感心した考え方だが今になって腑に落ちてきた。
そして必要な考えた方だと思った。
楽しめば楽しい展開に。
悲しめば悲しい展開に。
不安になれば不安になる展開に。
そういえば弱り目に祟り目なんてことはよくあったし
ラッキーにラッキーが重なったこともあったし。
考えてみればそうなのかもしれない。
テレビで見ることも
自分ならこれ(それ)をどうするか?という質問と見て考え
自分が心地いいものをイメージすると
今後の自分の物語につながるように思う。
世界の物語にも。
選択権は自分が持っている。
どのような物語にしたいのか?
人の声に左右されず
荷物や情報は自分にとって必要なものだけ
身軽にして歩かないと遭難する
何のために登っているのか?
物語を楽しまないと。