否定され氣にもされなかったことが思い出され本当に本当に毎回思うけど
朝、目が覚めるのは文字通り目が覚めた状態なんだと。
今朝もありました氣づいたことが。
それはタブー視される「死」についての氣づき。
もちろん僕も「死」について考えるなんて恐怖がありましたから
見ないように蓋をして奥深くに追いやっていました。
しかし、蓋をして奥深くに追いやっていても
何かのきっかけで目の前に表れる。
昨日の晩、久しぶりに出てきた感情でちらっと出てきた「死」。
「いなくなれば楽やろうなぁ」
そんなことを考えて寝て起きた今朝。
起きてすぐ思ったことが
「”死にたい”という思いは小さいころにあって
それが今も続いてるんや」と。
”死にたい”スイッチがオンのままになっている状態。
だから今も折に触れてふと考えてしまう
「いなくなれば楽やろうなぁ」と。
なるほどそうか!そんなスイッチを入れていたのか。
そして単純な頭はこう考える。
それならスイッチをオフにすればいい。
氣づいたらあとは選択。
しかしどこでスイッチを入れたのか?
少し考えると感情と共に思い出した。
小さいころだ。
では何故小さいころそんなスイッチをオンにしたのかを思い出す。
これやなぁ。
親だったと思う。
いや、親戚?近所の人か?
自分の言動を受け入れてもらえず
否定され変えられることが多々あった。
邪険にされ。
必要とされない存在か?
言った方は仕方がない状況だったのだろう。
今になれば察することもできる。
しかし幼い心には辛いことだ。
そこからスイッチは入ったのだろう。
長いことオンにしていた。
そしてオンにしていればそのような状況を招く。
中学、高校と自分の存在に自信が無く、疑問を感じていたことは
そのことが原因かもしれない。
もしかして怪我をしたことはそれがカタチとなって表れたこと?
おかげで自ら命を絶つことはできず
自分と向き合う日々が続き存在する疑問は解消された。
それにしても今もオンになっていたとは。
今考える時なのかもしれない。
『死」について。
より良く楽しく生きるために。
この続きは明日。