自分がやっていることってなかなか氣づきませんよね。
人に注意されても自分のことだとは思わない時もあって。
それが客観的な立場ならよくわかるしよく見える。
将棋に”横目八段”という言葉があります。
将棋をしている人よりも横で見ている人の方が全体を見ているので駒のl動きがよくわかっている。
自分がやっていない氣楽さも手伝っていい手が見つかるのかもしれませんが。
ほんと自分のことではわかっていないのに
他人が同じようなことをしているのはよくわかります。
見てて恥ずかしくなったり、「アホと違うか?」と思うのは自分の中にもあるから引っかかるはず。
自分の中に同じ要素がなければ引っかかりませんから。
先日、ある人の無邪氣過ぎる幼さが起こした相手を傷つけるという行為を見ました。
もしかしたら相手の生徒は傷ついていなかったかもしれませんが
見ている方はそう感じました。
そしてそれを見て氣づかされましたねぇ。
幼さとは想像力の欠如ということを改めて教えてもらい
それが自分の中にもあるのだということを氣づかされました。
この人と俺は一緒かぁ(>_<)と思いながら。
目の前で起こるそのことを良い悪いではなくて
それを見て聞いて、どう感じ受け入れられるか。
強く感じることは自分の中にあるから。
それを否定するというのは自分の中にある同じものを否定するということ。
受け入れて認めてあげる。
自分にもそんなところがあるということを。
自分のものなら受け入れ認め変化させたい。
客観的に自分を見る。
人を通して自分を見る。、
あれ?前に書いたのと同じみたい。
すべて自分に返ってくるということなんやろなぁ。
すべて盤上で起きてることですもんね。
指してるのは自分と自分。
見ているのも自分。