昨日は一日「許す」ということがテーマになりました。
しかし「許す」ということの何としんどいことか。
もうくじけそうに、堪忍してもらいたくなりましたが
「自分を変えたい」という思いが強かったのでずっと「許す」ということをやっていました。
何を許していたか。
それは音です。
僕は昔から音や振動に敏感で、嫌な音や振動をちょっと感じるだけで
氣になってイライラしてからだに変調をきたして怒りが起こり
あげくの果てには出所を突き止めて文句を言ってやめさせようとしてました。
夜中の工事や近所の宴会など。
神経が細かったのですね。
自分が動けない時は家族を使ってでもと思ってましたので
家族にはいい迷惑をかけていました。
昨日は実家に着いたとたん重低音の響きを感じました。
エンジンをかけっ放しにした車が近くにいる感じです。
氣にしないようにしていたのですがからだに感じる。
そこで考えたのが先日も書きました
「起こることはすべての原因は自分にある」
ということを。
原因は自分にあるのだから
自分の内側にある重低音の響きを許して手放そうと思いました。
攻撃するとそのものが増大し
許し癒すとそのものが縮小し消えるということを本で読んだのでそれを実践。
しかし何度「この音、響き許します。そして手放します」と心の中で言ったり
口に出して言ったりしても音、響きは一向に変わりません。
もちろん本氣で言ってるのですがね。
午後からもなかなかでした。
でも続けていくうちに氣にならない時間もありました。
結局は帰るまで音は鳴り響いていましたが
イライラして怒るレベルにはなりませんでしたね。
僕にとっては不思議なことです。
続けていけば変化していきそうです。
もしかしたらですが
自分の攻撃性を許すことをして癒していたのかもれrてません。
そのために起きた出来事だとしたらすごい!
人生で起こることすべては壮大な物語りの必要な一部ですね。
11月25日 『許す』